東日本大震災から6年。小竹浜の方々との交流♪

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今日で東日本大震災が起こって6年。

もう6年という言葉が正しいのかはわからないが、私的にはもうそんなに経つのかという感覚だ!

元々地元のボランティア仲間で、地域おこしのイベントを色々とやっていて、

そうした中震災があった!

そうした仲間が集まったときに、何かせんといかんやろう!ということで、

悶々の会(小竹浜に笑顔を贈る会の前身の会)が立ち上がり、

宮城県石巻市に小竹浜という地名の所があると、メンバーが見つけ出してきて小竹浜を直接支援しようという話しになった。






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そして、震災から約2か月後の4月末、支援物資を積んでメンバー2人が車で22時間かけて小竹浜を訪れたのが、小竹浜の方々との交流の始まりだ!

その翌年、ヽ( ´∇‘)ノを含め5人のメンバーで初めて小竹浜を訪れた!

小竹浜のコミセンに2晩お世話になり、ボランティアをさせていただいた。

私の小竹浜の方々との交流は、ここからだ♪





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小竹浜の前には弁天島があり、弁天島があったおかげで津波の被害が少なかったというのを聞いた。

しかし、小竹浜でも震災で亡くなった方がいらっしゃるとのこと・・・。

人名もさることながら、家や船などを失われた方もたくさん・・・。

そういうことを思うと、心が痛む・・・。

私にできることは何だろう?

ブログで、その模様をありのままに伝えることかな?と思い、この時からブログにきちんと書くようになった。






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そして翌年の2013年、2度目の小竹浜訪問

東北自体は、復興に向けて少しずつ動き出していた。

小竹浜では、護岸のかさ上げ工事や町営住宅の建設計画が進んでいた。

小竹浜のみなさんとは、こちらから持って行った食材で鍋を作り、小宴を催した。

この時に、浜のみなさんは笑って震災当時の模様を話してくれ、心の底からの声を聴いた!

それだけ、私たちとの心の距離が縮まったのではないかな?






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その間、私は東京に遊びに行ったときなどに、小竹浜出身の鈴木さんや金星さんと会食して、

交流を深めていた。

2年後の2015年の9月、3度目の小竹浜訪問

小竹浜では、護岸のかさ上げ工事も終わり、船も停泊していた♪

町営住宅の建設は、整地工事が終わった段階だった。






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その翌年の2015年11月

今度は、小竹浜から8名の方々が小竹町を訪問!

小竹町にお世話になったお礼にと、小竹町で開催された町民まつりで、「おくずかけ汁」を作られて、無料配布された♪

小竹町役場にも表敬訪問され、雄勝石を使ったレリーフを町長にプレゼントもされた!

書いたように、今は小竹浜の方々と心の交流を続けている♪

今年の夏に、普段行けないメンバーのために3年計画で積み立てをして、小竹浜を再び訪問する計画を立てている♪

何か、とりとめのないことを書いてしまったが、いつもラーメンやホークスのことしか書かないので、たまには立ち止まってこれまでのことを書いた。

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この記事へのコメント

2017年03月11日 13:25
あの時は僕も東京のビイグサイトにいて大きな地震に驚きました。
その日の東京は交通機関が全て止まる混乱状態で、路上に人が溢れていました。
そんなころ東北の沿岸部があんなことになっていようとは。仙台に営業所があり、お客さんも多かったので、兎に煮炊き用のガスボンベが足りないという一報を受けて、全国の得意先の助けを得て400本のガスボンベを佐川急便で送ったことを思い出します。
2か月後に訪れた仙台空港周辺は見るも無残な光景でした。
夢さんと小竹浜の皆さんとの交流はすべて拝見しています。
今に続く交流は夢さんたちの真摯な姿勢の賜物なのでしょう。
これからも長く続くことを祈っていいます。
2017年03月12日 10:40
東日本大震災は、各々色んなことが起こって鮮明に憶えているものだと思います。
達さんも、そういう体験をされて、一生忘れることのできないことになったんでしょうね。
色んなご苦労を経て、ガスボンベを被災地へと届けられたのですね。
私は、達さんもご存じのとおり、小竹浜の方々との交流が、今でもず~~っといい関係を保っているのが、私の財産になりました♪
心の交流を今からも続けていきたいと思ってます。